みなさん、こんにちは。
2023年6月にCHARMが行った活動の一部をご紹介します。
目次
- (1) 2023年CHARM会員総会を開催しました。(2023年6月17日)
- (2) 大手前大学大学院国際看護研究科学生の研修受け入れ (2023年6月13日)
- (3) HIV/AIDSと偏見・差別について考える (2023年6月24日)
<2023年6月>
(1) 2023年CHARM会員総会を開催しました。(2023年6月17日)
年に一度の会員総会を実施しました。
今回は4年ぶりに対面を主とした会でした。遠方の方や時間が限られている方はリモートでの参加を可能としました。
在日大韓基督教会大阪北部教会を会場としてお借りし、30名以上の方にご参加いただきました。そして、9名の方がリモート参加でした。
会員総会で2022年度事業報告、決算報告、2023年度事業計画案、予算案が承認されました。
後半のパネルディスカッションは「マイノリティが健康に暮らすためにNGOが果たしてきた役割」を3人のパネラーが違う視点で、これまでそれぞれが担ってきた役割について話していただきました。
パネルディスカッション終了後の約30分間は、お茶と交流時間とし、インド本場仕込みのチャイやCHARMがホームページで10言語の情報を提供していることに因んで10カ国の茶菓子を準備し、数年ぶりに参加者同士で会話を楽しみました。
会員総会にご参加くださったみなさん、ありがとうございました。(報告:POP)
(2) 大手前大学大学院国際看護研究科学生の研修受け入れ (2023年6月13日)
大手前大学大学院国際看護研究科からの要望で「外国人母子医療について」の研修会を行った(大学院生1名、先生1名)。外国人の母子医療について、話が聞ける団体を探していたところ、女性活動も行っている事を知り連絡が入る。研修会前よりCHARMに対する質問内容も添えられており、学生さんの熱心な気持ちが伺えた。
CHARMでは、当初より母子医療への関心が深く、当時「保育現場で働く人へ」の冊子を完成している。白野倫徳医師たち、川上信(めぐみ保育園長) 等多くの方々、創設者の榎本てる子(故)そして編集に関わった青木理恵子(今回研修講師)達が関わっている。他国に比べて遅れていた日本におけるHIV母子感染予防策を保育園に普及していった経緯などの話から始まった。2000年初期頃、陽性者である母子の偏見は大きく、子供の相談すらできない環境にあった事やそのためにHIVの正しい知識やスタンダードプリコーションのガイドラインを普及させた内容であった。またCHARMで継続されている陽性者女性交流会について。女性交流会ではみんなが協力して作成された「あなたへのメッセージ」「つむぐひと」「日本で出産・子育てする外国人親のみなさんへ」1冊々に、交流会の方々の思いが完成に繋がっている。また、2019年「外国人母子保健に関するCBPRから見えてくる(地域社会と外国人)」の研究発表なども興味深かった。研修内容は当時の女性たちが誰にも話せない現状を少しずつ変えていったCHARMの歩みを垣間見た研修会であった。
学生さんからの感想は、在日外国人はHIV感染症について周囲の理解が得られにくい事、偏見の目がある事、日本に住む外国人女性を取り巻く現状や困難を知る機会となった。今後の研究に関しても相談させてほしいという内容を寄せられた。(報告:三田)
(3) HIV/AIDSと偏見・差別について考える (2023年6月24日)
2023年6月24日エル大阪で行われたカトリック中央協議会HIV/AIDSデスク主催の勉強会「まず知ることから-感染症医療現場からのメッセージ-」にCHARMから7名が参加しました。
この勉強会は、HIVに伴う偏見・差別について考えるということを主なテーマとして、CHARM理事の白野さんが主題講演者をされました。
感染症の最前線でこれまで多くの感染症の診療を医師として行ってこられた白野さんは、感染の種類と感染の経路についての正しい知識と誰でもどこでも実践できる「標準的予防策」が必要であることを分かりやすく説明されました。どのように感染するかを正しく理解していればそれに対する対策さえしていれば怖いことはないということを強調されました。
二人目の発題者は、平良愛香さんが偏見・差別について自分が沖縄出身者としてまたゲイとして、またHIV陽性の方を友達として身近に関わってきた中で考え反芻してきた偏見・差別についての分類の私案を提起されました。
印象的であったのは、2人とも自分の中に偏見・差別の意識があることを話されたことです。改めて差別とは何なのかを少人数でそれぞれの経験と重ねながら話し合いました。話し合いから感じたことは、誰でも知らないことがある、分からないことに恐れを感じることは自然、それを越えていくのは人として出会って知り合いその人の中にある力や歴史を知ることしかない。
社会が寛容になり色々な背景が当然とされていない日本社会の中で少数者の存在は見えず、少数者も公表をすることができない悪循環があります。少数者の人たちに公表を強いるのではなく、みんなが一歩踏み出して人と出会う機会を通して人として出会うことができるのではないでしょうか。